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2005年1月30、31日 日月曜日  尋常じゃ無い量の飯

ばあちゃんの49日で福島へ行って来ました。

家でお坊さんに来てもらっておがんでもらって、

お坊さんと一緒に般若信教?をみんなで音読する様はとても不思議な空間だった。

っていうかうちの親父の読み方がおもしろすぎて、兄貴は笑いを堪えるのに必死。

というか笑ってたらしいけど。

そしてストーブの近くの親父はやたらと暑いらしく、顔中汗だらけ。

尋常じゃ無い量の汗にちょっとひく。

んで仏壇に魂入れてもらって?お墓へ行って、

さらにお寺に行ってまた拝んでもらう。

そして料理屋さんでみんなで食事。

尋常じゃ無い量のごちそうが振る舞われる。

これがかなりうまい。

ああいう旅館とかで出るような料理って、うまかったことが無いのだけれど、

とてもおいしい。

けれど、量が尋常じゃない。

お年寄りが多かったので、どう考えても大量に残ってしまう。

申し訳ないと思い、せめて完食する人がいなければと、妙な使命感に燃え、

すべて食べ切る。はとこのおにいちゃんにも強引に完食してもらい、

アイスをみっつも食べた僕のお腹はぱんぱん。

そして新幹線で大宮へ戻り、今度は親父の兄貴に会いに。

かなりひさしぶりに会うおじさんは、以前とは違う人格と外見。

ようするにボケてしまっていて、だいぶショックを受ける。

僕よりもずっと親しくていていたいとこのお姉さんは、泣いていた。

僕らが誰だか認識できていないながらも、親父のことだけはわかって、

ギリギリ聞き取れるカツゼツで、口をおさえながら

おじさんが「うれしいよ。」と言ったのが忘れられない。

兄貴が何歳?とおじさんに聞くと、28歳と言っていた。

痴呆とは、なんて大変な病気なんだろう。


31日は、兄貴がレンタカーを借り、母親のお墓参りへ。

2005年1月29日 土曜日  大阪の血

しんくんと大和田さんのギャラリートークへ。

二回も名指しで質問させられてたのが僕です。


せっかく?なんで久し振りに「RUN ACROSS」の撮影方法を振り返りたいと思います。

基本的にはというか、まあ単なる流し撮りです。

電車のドアの窓から撮るわけですが、進行方向とは逆の方のドアに陣取ります。

そしてカメラをあごの下に構えて、頭はガラスに押し付ける感じで

進行方向を見て、撮りたいものが来たら、ファインダーをのぞいて、

あとは流し撮りの要領でシャッターを切ります。

すると、ぐるっとブレたりします。

肉眼でも、移動しながら一点を見ていると、まわりがぐるっとなってるのがわかると思います。

僕は28ミリレンズでシャッタースピードは20分の1でだいたいやってました。

電車から被写体がある程度近く無いといけないので、

西武線とかが撮りやすいと思います。

主に通学に使っていた路線で撮っていたのですが、

ずっと撮っていると、シャーッターチャンス地点がだいたい

頭の中に入っているので、その間はすごく集中して視界に気を配ります。

そしてそうでない時(建物が目の前で撮れないところとか)ではリラックス。

僕はだいだい30〜40分くらいが限界でした。

デジカメでやったらすぐ見れてもっとやりやすかったかもしれません。


今日知った新情報↓

僕のおじいさんは大阪人だったらしい。

自分が大阪人の血を引いているとは微塵も知らなかった。


あ、そうだ、明日福島行って来ます。

2005年1月28日 金曜日  ポサルミンタウリン2000

写真を撮る人の中には、自分の中を撮る人と、外を撮る人がいると思います。

もちろんはっきりとどちらかに別れるわけではないのだけれど、

もっと簡単に言うと、自分で絵をコントロールして撮る方法と、

偶然をとりいれて撮る方法とでもいいましょうか。

広告写真って確かに綺麗だったり、かっこよかったりするんだけど、

なんでかぐっと来ないなあとずっと昔から思っていたのですが、

それは多分コントロールして撮られているからなんだろうなと思います。

おそらくカメラマンなり誰かの「手の内」で撮られているものなので、

その人の大きさというか、その中におさまりきってしまうので、

限界がもうすでにあって、広がりが少ないと感じるのです。

僕の場合、やはり自分の力を超えるものをつくらなければ、

いいものはできないなと感じます。

今構想中の作品の一つは、かなり人間離れした体力を必要とするだろうと思うので、

まずは体力づくりから。

2005年1月25日 火曜日  やっぱりせめてミックス光にしたほうがいいと思うのだけれどなあ。

まず朝、落とし物を受け取りに武蔵野警察署へ。

そしたら僕の間違いで本当は三鷹警察署だった。

バスが嫌いなので、歩いたら、一時間。

無事病院の診察券と、郵パックカードと、マックの券を受け取る。

ぶっちゃけると無くても困らないのだけれど、せっかく駅員さんが届けてくれたので。

にしても遠い、遠いよ。疲れたよ。


そして夜、Y島さんとMっぺと、新宿ニコンサロンへ。

しんくんの写真展のオープニングに顔を出す。

隣の大和田さんとの合同オープニングパーティ。

マッキーは前後左右に揺れてた。

どちらの展示もちゃんとは見れていないので、また行くと思います。

しんくんは実は間に合わないんじゃないかと半分本気で思っていたのだけれど、

間に合ってよかったです。

ニコンのユーナ21なのですが、今回のギャラリートークは対談らしいので、

面白いかも。土曜の一時から。

2005年1月24日 月曜日  かえだま

僕も感性が衰えるとは思っていません。

さらに誤解を承知で言うと、僕は他人に評価される事のみの為に写真とかをやっています。

うまいっちゃうまい。

2005年1月19日 水曜日  あくまで僕の場合ですが。

感性が古くなるのが大目に見て35歳だとして、

一、ニ年で頑張って一作品なんとか形にできるとして、

一生のうちにあと発表できるのは7作品という計算でしょうか。

とか考えると焦るばかりですね。

学生の頃は、よく

「大御所になったら、くっだらない作品を堂々と発表して、

 『さすが先生!』とか言われて、裏で笑ったりしたいね。」

なんてことを言い合ったりしたような気がしますが、

おそらく実際に実行している大御所は少なからず居るとにらんでます。

ジーンズ染めました。

2005年1月18日 火曜日  初台

そうだ思い出した今日はオペラシティに森山荒木展を見に行ったのでした。

どちらの作品もまともに見たことはない気がするのですが、

今回もまともに見なかったような気もします。

そうだ15日はニコンユーナ21の新年会だったのでした。

作品を見てもっていた印象とはまったくあてはまらない人格であったりと、

というかちょっと話したくらいで人格もなにもわかりませんけれど。

二次会行けなくてすいませんK上さん。

いつ乳首を撮られるのかどきどきです。

そうだ密かに事務所の建物の外壁に大きな写真を貼ってます。

一枚の写真によるインスタレーションをなにげに展開中。

御近所の不信感増大中。

というか最初ははがすの忘れただけなんですが、顔料プリントはさすが雨に強いです。

2005年1月17日 月曜日  一枚の写真によるインスタレーションのための試作

ひとつぼ応募作品のタイトル↑

出そうかなと思い付いたのが12日で、撮影から提出までが五日間。

かなり無理なスケジュールでしたが、徹夜もしまして、なんとか形にして応募しました。

最初の2ページまではとても良い感じです。

今回の作品テーマは、二年くらい?前から考えていた作品で、

環境が整えばいつかどこかでやりたいと思っているものです。

写真を展示することで、その「空間」を作品にするという性質のもので、

そこの「場所」はなかなかいい感じではあるのですが、

ブックは写真なので、正直おもしろさがなかなか伝わらないです。

あー全部室内でやったほうが雰囲気が伝わりやすかったかも、、、とさっそく反省です。

2005年1月12日 水曜日  常識

デジタル写真っていうか、WEB写真って、消えるよね。

それが魅力よね。

みたいな話がいつか頻繁に行われていた気がしたのだけれど、

常識ではギャラリーとかの写真の方がよっぽど消える。


そしてひとつぼの締めきりが17日らしいのだけれど、

昔から考えている作品がひとつぼの展示スペースにぴったりじゃないかと

今さっき思い出し、ちょっと本気で応募しようかと思っていろいろ調べたら

応募規約がなんか変わってて、どうにも無理かもしれない。

けどとりあえず明日撮ってみて、いけそうだったらまた考えよう。


明日はとりあえず都写美の花の展示を見に行って、

ハンズでジーンズ染める用の染料買って、

事務所行って撮影してみようと思う。


ここ二、三日ひきこもっていました。

2005年1月9日 日曜日  虹がでたin稲城市

吉祥寺のカレー屋リトルスパイスのキーマカレーかなり好きな味。

2005年1月7日 金曜日  ピザたべた。

2005年1月4日 火曜日  間違い

えー、サイトのデザインを変更しました。

嘘ですタイトル文字とか変えただけです。

以前と同じタイトル文字が表示される場合、再読み込みお願いします。

とは言えなにげにすごく時間がかかったのはドット打ちだから。

そう言えばおととい親戚の中学生にお年玉をあげたのですが、

親父から一万、兄貴から一万、僕から一万って、もう三万じゃんか。

あきらかに間違えた。


DOへ。

成田ゆめ牧場の穴掘り大会が素敵です。

2/6かな。

2005年1月2日 日曜日  氷はすべる

えーと、まず最初に、昨日の日記の写真は初日の出じゃないです。

夕日です。

実は2005年にあたり、というか記念して、というか、

まあぶっちゃけ限界なんで、digital papasのページにのみ、

javascriptを採用しました。

過去のページが増えるにつれ、目次がでかくなりすぎたためです。

プルダウン式のリンクにしてみましたが、

うまく動作、表示されない方がいましたら御一報頂けたら幸いです。

なにぶん不馴れなもので。

バリアフリーなサイトを目指していたので、

なるべくjavascriptなどは使いたく無かったのですが、

おもいきって採用してみました。

とはいえ、過去のpapasにさかのぼらなければjavascriptを切ったままで構わないので

安心してください。


今日は、中学からの友人と久し振りに会いました。

日記をさかのぼってみると、どうも前に会ったのは2003年の10月29日だったっぽいので、

じつに一年以上ぶりでした。

2005年1月1日 土曜日  新年

昨年は、自分にとってとても忙しい年でした。

自分の写真に関して言えば、

7月のガーディアンガーデンでの父さん、そのジャージ 僕のです。を皮切りに、

8月末から9月頭にはニコンのユーナ21でLANDSCAPER

10月にはdollsで、ひとつぼ展にも参加させて頂きました。

父さん、〜です。は、作品というよりも、プロジェクトという心構えというか

認識なので、いわゆる「写真作品」という意識からは別のものでした。

他の2つは、実は一番初めの2001年の写真展の始まる少し前から撮り始めたシリーズで、

会場に置いていたブックで御覧になった方もいると思います。

LANDSCAPERは、偶然をテーマにした作品ということもあり、

撮りためるのにとても時間がかかってしまいました。

dollsの方は、初期の方向性から、レプリカを導入して、今の形になるのに時間がかかりました。

ですが、どちらも2〜3年間?精力的に撮影に励んだつもりです。

2003年の末に、キリンアートアワードの受賞作品を見に行ったことが、

自分にとってかなり大きな意味がありました。

受賞作品のあまりの面白さに、度肝を抜かれると同時に、

自分の作品のつまらなさに悲しくなりました。

それは、写真をやめるか、割り切って続けるのかを迫られることに等しい出来事だったのですが、

「まだ間に合うかもしれない。」(←2003年11月8日の日記より)

という希望のもとに、出直すことを誓いました。

それにともない、制作中の作品も破棄するべきだったのですが、

自分のやったことを無駄にはしたくないとの思いと、

今後作品を発表していくうえでのことも考え、

出させてもらえるところがあれば出させてもらおうと思いました。

ここで言う「おもしろさ」というのは、いわゆる写真をやっている人たちや、

評論家の人たちの言う「おもしろさ」とは少し違います。

そういったおもしろさも、ある程度は理解できますが、

ここで言うおもしろさとは、それ以前に、もっと広い範囲の人たちの感じるおもしろさです。


2004年は僕にとっては清算の年となりました。

2005年からが、本当のスタートとなります。

と、宣言して自分を追い込むほか無いのです。


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